2019年5月1日、令和が始まって最初の日、あいにくの雨から始まった。前日まで展望の効いていた噴火湾もこの日は灰色のガスで覆われている。漁港には人影はなく、霧の中の漁船は寂しげであった。
霧の大沼・小沼
八雲からしばらく海岸沿いの道を進むが、森市から内陸へ向かう。目指すは大沼国定公園。駒ケ岳の麓に位置する風光明媚な沼である。本来なら駒ケ岳の山体がすぐ近くに見えるはずだが霧で何も見えない。
大沼・小沼に着いた後も霧は晴れなかった。これもどこか神秘的ではあったが、やはり本来の姿が見たい。時間的にここから先へ進むこともできたが、そのチャンスを待つために、この日は大沼の東岸に位置する東大沼キャンプ場に泊まることにした。沼の岸辺がキャンプサイトになっており、人は多かったが静かで落ち着いたキャンプ場である。
時間はたっぷりあったので、湖畔でのんびりしつつ情報を集めた。残念ながら天候はしばらく回復はしないらしい。
一瞬の奇跡
翌5月2日の朝、湖から聞こえる波の音で目が覚めた。大きな波音が短い周期で岸に打ちつけられている。風が強くテントがガサガサ揺さぶられている。外が明るくなっていることに気が付いた。
一瞬の晴れ間だった。沼の水面は青く、波頭は鮮やかに白い。キャンプ場からは森が邪魔で駒ケ岳は見えない。
すぐに出発の準備をした。キャンプ場の周辺は森の中であり、少し移動しなければ駒ケ岳は見えない。そして多分、この晴れ間は長くない。
大沼の南側を沼に沿うように曲がりくねった道を進み、函館本線の大沼公園駅付近にでると、駒ケ岳がその山体を現した。黒く大きな裾野を広げ、山頂には一本角のようなピークを持ち、堂々とした姿であった。これが昨日から一晩中、ずっとすぐ近くにあったことが信じられなかった。
やがて、天候はまた崩れていった。大粒の雨も降り始める。函館まではあとわずかの距離だ。不安定な天候のなか、北海道の旅の最終地まで一気に進むことにした。
函館の歴史
函館に着いて最初にフェリーターミナルに向かった。青森行のチケットを確保するためである。青森に発つのは翌日5月3日の夜にした。丸1日、函館を観光したかったからだ。 5月2日の天気はころころ変わりやすかった。晴れ間が覗いたかと思えば、突然強い雨が降ってきたりする。そこで、屋内で観光できるところを探した。
とりあえず、五稜郭へ向かった。ここは言わずと知れた戊辰戦争の終結地である。星形をした特徴的な城郭であり、桜の名所としても有名である。この五稜郭から歩いて行ける距離にある「五稜郭タワー」に向かった。そこなら雨風は凌げるだろう。
五稜郭タワーでは地上90メートルから、五稜郭の特徴的な城郭を眺めることができる。また、それだけでなく、この地での戊辰戦争の歴史についてのパネル展示があり、戦争終結までの出来事が分かる。
恥ずかしながら、私は函館での戦いについて、新政府軍が圧倒的な近代兵器をもって幕府軍残党を追い詰めただけのものと思っていた。歴史の教科書には「戊辰戦争は函館での五稜郭の戦いで終結」くらいにしか記載されていないからだ。ところが実際は、函館での戦いの期間は約半年に渡り、両軍によって激しい攻防が繰り広げられたという。一時は幕府軍によって、松前や江差までもが制圧されたという。
タワーを降りて、五稜郭内を少し散策したが、風が冷たく、雨も降りそうだったので早々に退散した。
夜景スポットを昼に訪れる
翌5月3日、天候は回復した。青空が広がり、海も青々としていて気持ちが良い。この日、一日かけて函館を観光して回った。駅近くの活気あふれる朝市に始まり、レトロな洋風の教会や公会堂の並ぶ元町地区など。街全体が気品と美しさにあふれていた。約150年という決して長くはない歴史ではあるが、江戸時代から明治時代への歴史の転換点としての重みが感じられる。
最後に、ロープウェイで函館山に登った。ここは言わずと知れた夜景の名所である。フェリーの時間があるので夜に行けなかったのが残念ではあるが、昼間でもここの展望は素晴らしい。函館の街、地形、背後の山々が一望できる。この街がいかに恵まれた立地であるかが素人目でも分かる。実に素晴らしい眺めであった。
さらば北海道
ここ函館で、私の北海道の旅は終わっている。2004年から幾度となく訪れているが、その魅力は色褪せることはない。機会があればまた行きたいと思う。まだ訪れていない地域はたくさんあるのだ。
2019年5月3日、旅の締めくくりにふさわしい夕日が港を赤く染め上げていた。これからフェリーに乗り、北の大地を離れる。
以上をもって、「過去旅日記 北海道編」は一旦の締めとしたい。