有珠山噴火の記憶
有珠山は、現在も活発に活動する活火山である。直近では2000年3月31日に噴火をしている。当時のことはよく覚えている。数日前から噴火は確実に起こると騒がれており、連日報道が飛び交っていた。3月31日の夕方、各TV局が一斉に報道特番を流した。そこには噴煙が上空まで舞い上がる光景が映し出されていた。そしてその2日後、当時の内閣総理大臣だった小渕恵三氏が急逝した。有珠山噴火の余波が収まらない中での、日本のリーダーの急死に子供ながらに衝撃を受けた。
それから19年後の2019年4月29日、私は噴火の被害を受けた洞爺湖町にいる。洞爺湖町は、洞爺湖の市街地は南岸に位置し、湖を挟んで羊蹄山を望む。ここから見る羊蹄山も富士山そっくりで美しい。洞爺湖町からの北側の眺めは本当に素晴らしい。だが、背後の南側には、有史以来、何度も噴火を繰り返してきた有珠山が、私たちを見下ろすように鎮座している。
火山科学館
2000年当時の洞爺湖町の様子は、洞爺湖ビジターセンター内にある「火山科学館」で詳しく知ることができる。驚いたのは、2000年の噴火においては、物的被害は相当被ったが、噴火前の避難を徹底したため人的被害は出ていないということである。予知情報を噴火前に発表し、一人の死者も出さなかった初めての事例であるらしい。これには大変感心した。このときの各種データは、その後の世界各地の噴火予知やハザードマップの作成に活かされている。
2004年の旅の終着地
洞爺湖は、2004年の旅の終着地であった。正確には、洞爺湖から海岸まで移動し、長和という駅まで走り、ここから列車で帰った。2004年9月2日のことである。
2019年にこの駅を再度訪れた。駅舎は昔のまま残っていた。これから函館まで進むつもりだ。かつての旅路の終着点の先を行く。そう思うと非常に感慨深い。
伊達市
長和駅から函館方面とは反対側の伊達市を訪れた。「伊達」、おおよそ北海道らしくない地名である。北海道の地名はアイヌ語にルーツを持つものが多いが、これは明らかに浮いている。このことが気になり、訪れてみることにしたのである。
答えはすぐに見つかった。「道の駅 だて歴史の杜」の隣に2019年3月にオープンしたばかりの歴史資料館があり、そこで伊達市の歴史を知った。
地名の由来は、伊達氏である。戦国武将として有名な伊達政宗の伊達氏である。伊達氏は戦国時代が終わった後も、幕末まで続いていた。その伊達氏が故郷東北を離れ、この地を開拓するため入植したのだそうだ。こんなことは今までまったく知らず、興味深かった。
この日は、有珠山の噴火から伊達市の歴史まで、初めて知ることが多かった。やはり旅はしてみるものである。自らの知識が空間的に広がるだけでなく、過去の事も知ることにより時間的にも広がって行く。
豊浦
2019年4月29日、過去の旅の終着点の先に進んだ。この日は伊達からそう遠くない豊浦海岸のキャンプ場に泊まった。噴火湾を挟んではるか彼方には駒ケ岳がうっすらと見える。海に面し、夕日がきれいなキャンプサイトだった。さて、世間ではGWに入った日である。自分のほかにも自転車旅行者が何人かいた。
さて、伊達から豊浦に行く途中、「虻田」という港がある。ここは1796年にイギリスの探検家ブロートンを船長とするプロビデンス号が来航したところである。この人物については、次回に語りたい。