zillagodのブログ

国内旅日記 ~自転車旅・登山・徒歩旅行~

旭川から浜頓別 最北への道

 過去旅日記は、しばらく大雪山からトムラウシの縦走について書いたが、ここからは、2004年の旅に話を戻す。前回は旭川で筆を止めているので、ここから北へ向かったときのことを書こうと思う。

 

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北へ

 2004年8月24日、旭川で仲間と別れ、私は北を目指した。旭川からとにかく北へ向かった。目指すは日本最北の宗谷岬である。

 当時私はフィルムカメラしか持っていなかった。フィルムカメラはデジタルカメラと比べて、撮影できる枚数が少ない。北海道の旅も終盤に近づくにつれ、フィルムの残りも少なくなってきた。貧乏学生だったのでおいそれと支出はできなかった。

 そういう状況だったので、旭川以降の写真は極端に少ない。また、大きな町も少なく、道中で印象に残ったことも少ない。しかし、最北端へ向かう道、また最北端の地の雰囲気は良く覚えている。寂しげだが、廃れている訳ではない。人は少ないが、活気がない訳ではない。自然豊かな土地で、人間がそれを認めつつ、調和して共存しているかのように感じられる。自然と人との活気を感じる。

 実はこれは、アイヌの世界観そのままだということを後に知った。自然との調和こそ、アイヌの精神の根幹である。そして、さらに北海道より北方に暮らす民族でも、この精神は尊ばれている。

塩狩峠

 旭川を出発したのは昼過ぎだった。コインランドリーで洗濯をするなどしていた。

 国道40号線を進むと、途中で塩狩峠を越える。作家の三浦綾子の作品に「塩狩峠」というのがあり、峠には三浦綾子の旧宅を再現した「塩狩峠記念館」というところがある。私はこの小説を読んだことがない。そもそも私にとって小説を読むこと自体稀である。しかし、いやが応にも「塩狩峠」を読んでみたくなってくる。これを書く直前、良い機会なので読んでみようと思い、近所の図書館に行ったのだが、三浦綾子の作品の中でなぜかこれだけ無かった。蔵書検索すると出てくるので、誰かが読んでいたのだろう。

和寒 終わる夏

 旭川を発った日の夜、和寒郊外のキャンプ場に泊まった。北海道の北部では、8月後半の最低気温は一桁になることがある。この夜も冷えた。私の服装は、半袖Tシャツに短パンで、レインウェア以外に防寒着になるものは持っていなかった。そのため震える一夜を過ごした。

 これに懲り、翌日、士別のユニクロでパーカーを買った。貧乏学生でも夜の寒さには耐えられなかった。さて、旅先で買ったものは意外と長く使うものだ。このとき買ったパーカーは、社会人になったあとも、登山や自転車旅で使い倒した。愛着があったが、脇が大きく裂け、数年前に手放した。

山間部の道

 士別を発ち、国道40号線は、名寄・美深と市街地を点々とするが、そこからは山間部の道を行く。しばらく大きな町はない。

 途中、音威子府からは国道275号線に入った。中頓別を経由してオホーツク海に面した浜頓別まで行く道である。

 中頓別にあるドライブイン「マウントピンネ」に立ち寄った。ここでは、「チャリダー麺」という超大盛のラーメンが名物となっている。写真が残っていないので、伝わるかどうか分からないが、とにかく量が半端でない。麺の上に具(主にもやし)がこんもりと盛り付けられ、なかなか麺に達しない。麺に届くころには満腹に近くなっており、完食するとかなりグロッキーになる。この店の看板おばちゃん(通称りっちゃん)も愉快な人で、これまで数々の旅人を迎え入れ、見送ってきたという。しかし、マウントピンネは今はもうない。りっちゃんが今どうしているのかも分からない。

浜頓別 クッチャロ湖

 国道275号線は、美しい汽水湖のクッチャロ湖畔で終わる。クッチャロ湖に到着したのは8月26日の夕刻。美しい場所なのだが、チャリダー麺のおかげで腹は下り気味で、この日はその美しさが実感できなかった。

 クッチャロ湖は、日本で三番目にラムサール条約の登録地になったところで、白鳥をはじめ、数々の野鳥が生息することで知られる。翌8月27日、早朝に湖畔を散策した。静かに落ち着いた雰囲気の湖沼で、白鳥が水面に佇んでいた。

 散策から戻ると、荷物が荒らされていた。どうやらカラスの仕業のようだ。自然のままの土地にも、都会と同じようなカラスがいるのかと意外だったが、考えてみれば別に不思議なことではない。彼らもこの自然と人が調和する土地で暮らす生き物の1つなのだから。

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クッチャロ湖