旭川
旭川は、人口の規模では北海道第二の都市である。ガラス張りの大きな駅舎の旭川駅を始め、大型ショッピングセンターやホテルなどが立ち並んでいる。ここも、2004年と2019年に訪れているが、最も大きく変化していたのは、駅舎である。現在のガラス張りの駅舎は、2011年に完成している。あまりの違いに、最初記憶違いをしていたと思ったほどだ。
軍都としての旭川
旭川は、北海道の都市の中で「軍都」としてのイメージが強い。旧日本陸軍で最大規模の第七師団が置かれていたことは良く知られている。現在でも、陸上自衛隊旭川駐屯地が置かれ、市街地を離れると、自衛隊車両を至るところで見かける。
旭川の軍都としての歴史について、「北鎮記念館」で詳しく知ることができる。陸上自衛隊駐屯地の敷地内にあるが、駐屯地の門を通る必要はない。いかにも自衛隊の施設のように感じられ、係員の人も迷彩服を着ていた。このため最初、入るのを少し躊躇ってしまった。しかし、係員の方は大変親切で、ガイドも受け付けている。
展示は、開拓時代の屯田兵から始まり、先に述べた旧陸軍第七師団や戦時中の資料、そして、現在の陸上自衛隊の沿革といったように、「軍都」の視点での旭川に焦点が当てられている。さらに、近年の自衛隊の活動についても展示がある。かの東日本大震災の際の、旭川駐屯地からの被災者救助・支援活動の当時の様子を知ることができる。
私は幸運なことに、大地震や集中豪雨などの自然災害で、被災した経験はない。震災のときは仕事で埼玉に出張しており、強い揺れに肝を冷やしたが、東京の自宅まで帰ることはできたし、2018年に近畿地方を台風が通過した際は、勤めていた会社の屋根が吹き飛ばされたが、そのとき私は不在だった。しかし、いずれの場合も直接の被害はなかったものの、ニアミスである。いつ自分に降りかかってくるのかは予測不能だ。自分自身でできることはやっておかねばならない。しかし、それでも自然の力は強大で、太刀打ちできないこともあるだろう。そんなとき、自衛隊の存在は非常に心強く感じる。直接お世話になったことはないが、精神面では結構お世話になっているのだと思い知った。
幻の宮
旭川の開拓の歴史は古い。当時、北方のロシア、樺太への最前線であり、明治政府もこの地を重要視していた。そのことを示すものが、旭川市街の南に鎮座する上川神社にある。開拓の守護と旭川の鎮守として明治時代に創建された神社である。広い境内だが、一見は普通の神社といった趣だ。その一角に、「上川離宮予定地」と書かれた碑がある。離宮とは、皇居とは別に皇族が居住するところである。離宮を置くということは、天皇のお膝元とすると言って良い。明治時代にそのような計画があったという。
さらに、その碑を解説した看板を読むと、この地を「北京("ペキン"ではなく、"ホッキョウ"と読む)」という、京都・東京につづく都にするという構想まであったという。"ホッキョウ"と出て来たときには、正直笑ってしまったが、当時、いかにここが重要視されていたのかが分かると思う。
2004年8月23日。大学のサイクリングサークルの行事はここまでとなっていた。私は仲間とここで別れ、さらに北へ向かうこととした。本州ではまだ夏真っ盛りの時期だが、北海道では秋が始まっていた。