嵐の前の静けさ
2004年8月31日、早朝5時、留萌郊外の歩道橋を後にした。昨夜危惧していた台風の影響はまだないようだ。風はやや強いが、まだ雨は降っていない。ただ、空はどす黒く、異様な静けさに周囲は覆われていた。嵐の前の静けさである。
とりあえず、海岸線から離れた方が良さそうだ。国道232号線を内陸に向かうことにした。この道を通れば、道央の滝川市に行けるが、途中に美葉牛峠という峠がある。標高102メートルと小さい峠だが、悪天候の中で登坂はしたくなかった。早朝、まだ台風の影響が少ない内に峠を越えることにした。
なぜか、留萌で停滞するという選択肢は全く浮かばなかった。
台風襲来
美葉牛峠を越えたあたりから、雨が降り始めた。見る見るうちに雨は大粒になって行く。風も強い。どうやら台風圏内に入ったようだ。峠を下り、国道275号線に入った。この道を札幌まで行く。
雨脚はどんどん強くなり、道路は川のようになっている。強風で雨粒が顔面に容赦なく叩きつけられ、痛い。目も開けていられないほどである。レインウェアもその雨圧に耐え切れず、雨水が徐々に内側に浸み込んできた。
強い向かい風に阻まれ、時速5~6キロメートルくらいの速度しか出せなかった。歩く速度とそう変わらない。普段は車道を走るが、このときばかりは歩道を行った。スーパーのビニール袋とか新聞紙が宙を舞っている。そのうち、風は激しさを増し、立っているのもままならない場面がときどきあった。
これを書いている今、なんと危険なことをしているのかと、自分自身に呆れてしまう。長く旅を続けていたせいか、完全に感覚が麻痺していたようだ。
道の駅の猫
道の駅の軒下のベンチで休憩をしていると、猫が近寄ってきて、ベンチの横に座り込んだ。野良猫にしては毛並みがきれいで、肉付きもよい。飼い猫だろうか。しかし、周囲には飼い主らしき人はいない。この嵐で帰れなくなったのか。心の声でその猫に尋ねた。当然、猫は何も応えない。
しばらく猫と雨宿りをした。コンビニで買ったおにぎりの具などを出したが、食べようとしない。腹が空いている訳ではないのか、見ず知らずの者に乞うつもりなどさらさらないのか、本意は分からない。ただ、私の横を離れない。
ずっと、この道の駅にいるわけにはいかない。私は意を決して出発することにした。しかし、猫はそんなことお構いなしに、別の方向を見ていた。
出発した後も、猫の事が気になっていた。天候は相変わらず厳しかったが、そのおかげで気も紛れた。まさか、私を激励しに現れた訳ではないだろうが、そう思うことにした。
札幌
夕方になると、天候は幾分か回復した。雨は止んだが、相変わらずの強風であった。進む速度は上がらない。
しばらく、向かい風との格闘が続いた。ふと前方に目をやると、雲の切れ目から一条の光が差している。このときの私にとって、それはまさしく希望の光だった。それを見た瞬間、全身が安堵し、ため息が漏れた。札幌まであとわずか。なんとか行ける。
風も次第に弱くなってくる。光も徐々に増えてくる。そして、ようやく豊平川沿いに出た。札幌市内を流れる川だ。すでに日は暮れ始めていた。
この日、郊外の健康ランドで入浴と食事をして、疲れを癒した後、豊平川の土手の空き地で野宿をした。昼間の空が嘘のように晴れ渡り、星空が見える。都会に近いので、満天の星空というわけではないが、それでもきれいだった。テントを張らずに、地面にマットを敷きそのまま寝袋に入った。開放感と安堵感に包まれた夜だった。